2012年3月30日金曜日

5年後?

職場の先輩女子が
定年を待たずに退職するので
仕事チーム+@で感謝の宴を開いた。

みんなの思いが一致して集っているので
とてもステキな会になった。


私たち花束係は
準備していたのに
会場に持っていくのを忘れて大慌て!
近くのお花屋さんに駆け込んだ。
ネジがはずれているにしても重症…。

先輩にどうして今なのか尋ねると
とてもよい状態の中で仕事に区切りをつけられるからと。
余裕を持って退職される先輩が
うらやましい。

わたしも
5年後位までには
次のステップをどうするか
みえるようになっていたいな。

2012年3月25日日曜日

クロッカス


春先に咲く黄色い花って
小さくて強くて可憐で好き。

庭のすみに
昨日の雪などなかったかのように
咲いていた。

生まれたばかりの男の子を
連想した。

2012年3月24日土曜日

春だから

友人が電話をくれた。

話の最後に
春は身体をリセットできる季節だと教えてくれた。
知人のアロマテラピストの話だって。

さっきまで
この年度末年度始めの慌ただしさと
また新たな1年を乗り切るために
どうやってテンションを上げようかと
考えていたけど…。

自然にまかせて?
でも忙しいときほどそれができない。

電話は
何年かおきにかかってきて
さばさばと話をし終わる。
そしてどこかゆるゆるな感じ。

新しい年度の目標は
心もからだもゆるゆると   に
することにしよう。

2012年3月10日土曜日

震災から1年

以前の私は
災害で大きな被害がでても
また同じ場所で暮らす人たちをみて
なぜ他の場所へ移らないのかと思っていた。
合理的に居住場所を選ぶことが
賢明な生き方だと思っていた。
でも今は
その場所を離れられないのだということがよくわかる。
大切な人が生きていた
一緒にいた場所なのだ。
まして遺体すら見つからないのだ。
その人を置いてどこかへ行くなんてできない。

***

昨年の晩秋くらいから
震災の報道番組を見るのはイヤだなと思うようになった。
報道されることで
被災した方々が社会から取り残されず
支援が必要な人へそれが届く契機になるのだと思う一方で
辛く、悲しく、痛ましく、遣る瀬無く、未だ何の解決もされず・・・
そのような話しが果てしなくあることに
どうしようもなく胸が痛くなる。

***

今私の生活は
3.11以前と変わらない状態に戻った。
でももう仙台より東にはいかないと心のどこかで思っている。
津波が怖いからではなく
失われたものを目の当たりにすることができないのだと思う。
毎年息子のサッカーの全国大会を観に行ったJビレッジには
現実問題としてもう二度と行けないかもしれない。
今にして思う
あの場所はあの子たちにとって大切な場所だった。

***

今日の夕方車の中で
トーク番組の震災写真集を出したカメラマンの話しを聞きながら
明日の3.11をどのように過ごそうかと思った。
年齢を重ねると
セレモニーで心に区切りをつけるより
いつもと同じことをしながら
静かに心の中で折り合いをつける方が
しっくりするようになった。

***

本当に長くいろいろなことがあった1年だった。
でもよいこともたくさんあった。
人の温かさも人間の力も感じた。
新しい家族も増えた。
また明日から私らしく歩んでいこう。