以前の私は
災害で大きな被害がでても
また同じ場所で暮らす人たちをみて
なぜ他の場所へ移らないのかと思っていた。
合理的に居住場所を選ぶことが
賢明な生き方だと思っていた。
でも今は
その場所を離れられないのだということがよくわかる。
大切な人が生きていた
一緒にいた場所なのだ。
まして遺体すら見つからないのだ。
その人を置いてどこかへ行くなんてできない。
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昨年の晩秋くらいから
震災の報道番組を見るのはイヤだなと思うようになった。
報道されることで
被災した方々が社会から取り残されず
支援が必要な人へそれが届く契機になるのだと思う一方で
辛く、悲しく、痛ましく、遣る瀬無く、未だ何の解決もされず・・・
そのような話しが果てしなくあることに
どうしようもなく胸が痛くなる。
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今私の生活は
3.11以前と変わらない状態に戻った。
でももう仙台より東にはいかないと心のどこかで思っている。
津波が怖いからではなく
失われたものを目の当たりにすることができないのだと思う。
毎年息子のサッカーの全国大会を観に行ったJビレッジには
現実問題としてもう二度と行けないかもしれない。
今にして思う
あの場所はあの子たちにとって大切な場所だった。
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今日の夕方車の中で
トーク番組の震災写真集を出したカメラマンの話しを聞きながら
明日の3.11をどのように過ごそうかと思った。
年齢を重ねると
セレモニーで心に区切りをつけるより
いつもと同じことをしながら
静かに心の中で折り合いをつける方が
しっくりするようになった。
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本当に長くいろいろなことがあった1年だった。
でもよいこともたくさんあった。
人の温かさも人間の力も感じた。
新しい家族も増えた。
また明日から私らしく歩んでいこう。